心も体も『私』ではない

こんにちは、自由スピ旅人のtomomiです。

いつも、私のブログを読んでくださいまして

ありがとうございます!

 

 

私たちの執着はどこから生まれてきてしまうのでしょうか?

 

そして、その執着が作り出す

苦しみはどうすれば手放せるのでしょうか?

 

 

 

人は、

『私』の考え

『私』がしたこと

『私』のもの

と何かにとらわれたり、

こだわりの強い心でいたりすると

そこから執着が生まれます。

 

 

まず、私たちのこの肉体は『私』ではありません。

 

通常私たちは、

自分の体を『私』だと思います。

 

しかし、医学が進歩してきた今、

私たちは心臓を交換できます。

他の臓器も交換できます。

そして、両足がなくても生きていくことが出来ます。

 

体が『私』だったとしたのならば、

臓器を交換してしまったら、

どこまでが『私』なのでしょうか?

他の方の臓器が体にあれば『私』ではなくなってしまうのでしょうか?

では、脳が私でしょうか?

しかし、脳が死んだとしても、

心臓が生きていれば、生命は続いていきます。

脳に損傷を負ったり、

年齢を重ねて脳の機能が衰えても

生きていくことが出来ます。

 

となると、変化する脳も『私』ではないことがわかります。

 

顔も、赤ちゃんの時の顔と

歳をとってからの顔では、

全く違いますよね。

顔は変化するものです。

 

肉体は『私』ではないことがわかります。

 

 

では、心はどうでしょうか?

 

まず、体が『私』ではないのであれば、

その体を使って行った行為は

すべて『私』のものではないのです。

 

そして、『心』は、『肉体』がないと存在はできません。

 

心は変化するものであり、それはカルマであり、また『私』ではありません。

 

心は体を守るために発達した

神からお借りしたツールに過ぎないのです。

人は、自分自身を守るために、

『私』という超エゴが生まれました。

 

その超エゴは、

『体』や『心』を『私』だと思っています。

 

そして、欲望や執着に振り回され苦しみが生まれます。

 

 

では、肉体を生かしめている存在

心を生かしめている存在は

なんなのでしょうか?

 

それは、創造の源であり、神であり、

魂であり、自分自身です。

 

私たちの利用している心も体も

その創造の源が生かしてくださっているのであり、

どれだけ体が健康であっても

どれだけ心が強くあっても、

その源が決めたのであれば、

肉体も心も生命の線を絶たれ、

瞬時に、動かなくなります。

 

 

私たちの本当の姿は

肉体や心を生かしめている存在であり、

神であるのです。

 

それは、永遠に変わらないものなのです。

 

皆さんの内側には、

同じ素晴らしいクオリティのものがあります。

 

皆さんは、本当は素晴らしい人なのです。

 

 

しかし、それを長い間忘れてしまい、

心を自分だと思い、

体を自分だと思い、

心も体も地球も人も汚してきました。

 

多くの人が心や体をカルマで曇らせ、

創造の源を感じることができない状態ですが、

最初は、わからなくてもいいのです。

 

しかし、そのことを理解した上で

すべての行為をしてみてください。

 

『私』というエゴをなくしていくことで

『私』のものと取り込む生き方から、

みんなでシェアをし、捧げる生き方に

シフトできるのです。

 

 

そもそも、損も得も、誰かから奪う必要も、

なかったことに気づくことが出来ます。