ひねくれていた子供時代。

 

 

物心ついたころから、私は内向的で
ひねくれており、斜めなものの見方をする子供でした。

私には2つ歳が離れている姉と、
4つ歳が離れている弟がいますが、
幼い頃、姉は自分の思い通りに
物事が進まないと、
殴る蹴るなどの暴力行為を私に繰り返していました。

一方で天真爛漫さも兼ね備えており、愛嬌もあり
両親にものをねだるのがうまい子供でした。
ドクタースランプのアラレちゃんのような。笑

両親はそんな姉に舌を巻いていたが、
可愛がっていたようにも感じます。

そんなこともあってか、
私は両親を困らせないように
いい子でいないと愛されないと思い
何でも我慢する子供になってしまいました。

 

小学校では、私はよく小学校で姉の自慢話をするようになりました。

いつも、誰かに愛されたかった私は
自分の思いをまっすぐ誰に対しても
伝えること、表現することにすごく抵抗がありました。

両親にも、じいちゃん、ばあちゃんにも
甘えたことなんてただの一度もなかったのです。

母親は3人の兄弟に対していつも平等でしたが、

父親は小さい頃から私の顔を目が小さい、鼻が低いなどと言って笑っていました。

そんな価値観を植え付けられた私は
自分のことを相当な不細工だと思って
大人になっていきました。

いつも愛されたくて我慢して、
うまく表現できなくて、相手を傷つけたり、
変な事を言ったりして困らせて、
本当の自分はどこにもいなく、
私は、そんな自分が大嫌いでした。

よく小学校で3人グループで仲良くしていると、
私だけ省かれるということがあって、
悔しくて悲しくて腹が立って、
どうしようもできなくて、
何度もそいつんちにいたずら電話をしたこともありました。

全く、陰湿な小学生です。笑

小学3年の時、私はいきものがかりで
学校が休みの日には、ハムスターを
家に連れ帰ってきていました。

私はその頃から動物が大好きで、
休日は家にハムスターがいることが
すごく嬉しくて、よくハムスターを出して遊ばせていました。

しかし、いつも通りなその日事件がおきました。

その日も、いつも通りハムスターを
遊ばせていたら、当時まだ小さかった弟が
ハムスターを踏んでしまったのです。

ハムスターは、脳みそが飛び出て即死。

私はひどい息切れと、動悸で
声が出ませんでした。

やっと振り出した言葉が
「マ、ママーーーー!!!!」
と、泣きながら叫んで、その後の記憶はよく覚えてません。

唯一の心のよりどころを、
唯一の友達を、一瞬にして、失ってしまった私は、
その後クラスから孤立することになります。

ハムスター殺しで孤立していった私は、
クラスで飼っているザリガニが
減っていたり、死んでいたりすると
疑われるということが頻繁にありました。

そんなこともあってか、
人が嫌いで、集団行動が嫌いで、
私はクラスからどんどんと孤立していきました。

 

 

中学に上がり、私は姉の影響で、
バレーボール部に入り、
当時小学校でいじめの主犯だったグループの
2人もバレー部に入りました。

その2人はジャイアンとスネ夫のような
関係でしたが、
中学入学とともに仲は決裂していており、
私はなんと、スネ夫側と仲良くなることができたのです。

スネ夫といると本当に毎日笑ってばっかりで、
初めて友達と呼べる友達ができたのではないかと思っていました。

しかし、一方でジャイアンはその様々な悪事から、
周りから反感を食らうようになっていました。

そして、それは、 私もその中の1人であったのです。

そして、バレー部内で中学2年まで
ジャイアン省きが続きました。

私もいつしか、中学の1番うるさいグループの
主犯格になり、ジャイアンを嫌ってそれを楽しんでいました。

私の性格は歪みに歪みまくっていた一方で
私は本当に面白いことが好きでした。

だからこそ、良いことと悪いことの
区別が全くつかず、ジャイアンが嫌われていくのも楽しかったのです。

そして、私は初めて中学2年で彼氏ができました。
彼は背が高くてかっこよくて、スポーツもできて、彼のことが好きな女の子はたくさんいました。

私は彼は1年ほど続きましたが、
いつしか彼のことを気持ち悪いと感じてしまうようになりました。

その頃から男が生理的に無理だと気がつき、
この症状はその後7年ほど続きました。

なぜなら、それは
根底にある、私は醜い、私は愛されない、
私は無価値だ

そんな思いから、自己否定が止まらずに、
ここまできてしまっていたからです。

2.殴られまくりの高校時代。